第3章 罪と罰と恥
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この動物(ヒヒ)の群れの構造を全体的に見てみると、力関係の微妙なバランスがとれている。群れの個体は、生まれてからおとなになるまでのあいだに、社会学習でそのバランスを身につけていく。だから群れの規範が破られることはめったにないのだ。もし規範が破られたら、捕まった違反者は厳重な罰を受ける。 (ロナルド・ホール) 社会秩序の感覚
この動物園では夜間用の宿舎に全員が入らないかぎり餌を与えないことになっている
チンパンジーたちは規則の遵守に積極的で、宿舎に入るのが遅くなると、腹ペコの仲間たちに激しい敵意を向けられるのが常
若い雌たちは頑固で二時間以上も遅くなった
報復を避けるために別の寝室が与えられたが、翌朝屋外に出たチンパンジーたちは、前夜の食事が遅くなった怒りを爆発させ、無法者をみんなで追いかけ回して殴りつけた
その夜一番に宿舎に戻ってきたのは、言うまでもなくその雌達
動物が規則を守るということは、かなり以前から知られていた
たとえば哺乳類の雌は、勝手に自分の子供に近づこうとする物を手当たりしだいに威嚇する そのやり方や激しさは種によって異なるが、母親が子どもを守る行為は広く見られるし、簡単に予想がつくこと
記述規則とは典型行動を述べるものだから、生き物はもちろんのこと、生命のない物体にも存在する
石を手から離したら落ちる、ヘリウムを詰めた風船は落ちない
道徳をからめて見る場合、記述規則はさほど興味深いものではない
決定的な「ねばならぬ」という特質が欠けているから
これに対して規範規則というのは、動物と人間だけに当てはまり、見返りと懲罰によって積極的に支えられているもの ペットや家畜を対象に私達人間が定めた規範規則はわかりやすい
しかしそれとは別に、牧羊犬やインドゾウなどを私達が思い通りに仕込めるのは、彼ら自身の中に規則を基本とした秩序があるからではないだろうか 母親が子どもを守る行動に今一度目を向ける
母親がそうした行動に出るとなれば、他の者も子どもへの近づき方、接し方をそれなりに変えなくてはならない
チンパンジーのコロニーでは、母親の基準にそぐわないものは怒りを買い、それからは子どもを預けてはくれなくなる
群れの個体が、自らの行動と母親の行動とのあいだに生じる偶発事故を認識して、好ましからざる結果をできるだけ避けようとすると、そこに規範規則が生まれる
ただし若者は、子どもの行動や母親の反応をまだ充分に理解していないので、ここまで注意深くない
そんな若者も思春期に入ると規則をちゃんと理解するので、母親も安心して子どもを預けるようになる ベニガオザルの場合、幼い子どもが誰の付添もなくひとりでいると、まるで面倒に巻き込まれるのはごめんだとばかりに、大きな雄でさえ避けて通る 子供の体毛が明らかにおとなと違い、明るい色をしているのがこの種のマカクの特徴 そのため仲間が押し合いへし合いしているようなときも、子供だけははっきりと見分けがつく
赤ん坊が母親にしがみついていたり、そばにいたりすると、たちまち周囲の関心を集める
他の者が周りに集まって、スタッカート・グラントとよばれる特別な声を出しながら、赤ん坊の顔や性器をよく見ようと顔を近づける この声はおそらく親愛の情の現れではない
スタッカート・グラントの動機が愛情や愛着だとすれば、母親が一番その声を出すはずだが、そんなことはまったくない
母親と赤ん坊の距離が近ければ近いほど、他の者は赤ん坊に接触しようとして声を出すこともわかった
スタッカート・グラントは赤ん坊に向けられるものだが、母親も対象にしているように思われる
おそらくこの声は、赤ん坊に近づいていいかという「許可を求める」合図
この解釈をさらに裏付けるのが、スタッカート・グラントが持つ懐柔効果
声を出さずに赤ん坊に近づこうとすると、一連の声を出しているときよりも、母親に威嚇され、平手打ちを食らう確率が高くなる
母親の保護行動を克服する方法をまだよくわかっていない若者が、よく黙ったまま近づいてはねつけられる
個々の母親が運用する規則よりももっと興味深いのが、コミュニティによる制裁を伴う規則
アーネム動物園で遅刻した二頭のチンパンジーの場合、群れ全体が反応を見せたわけだが、規則自体は人間が定めたもの
チンパンジーには彼らが独自に決めた規則もある
ヤーキース霊長類研究所に飼われているチンパンジー集団で、第一位雄のジモーが、彼のお気に入りの雌と若い雄のソッコが密会しているのを発見し、ソッコを執拗に追いかけまわした こういうときの年長の雄は、無法者を追い払って終わるのが普通で、おおかたジモーはこの日雌に何度も求愛して断られたのだろう
しかし、ジモーが目的を果たす前に数頭の雌が集まって攻撃者や侵入者に抗議するときの怒りの声を吠え始めた
最初雌たちは周囲を見回して反応をうかがっていたが、他のもの、特に最高位の雌が加わったのに力を得て、声は急に激しくなった
雌達がみんな吠え声を出しているのに気づくと、字もーは神経質なグリマスを顔に浮かべて追跡をやめた もしそれでもジモーが攻撃をやめなかったら、雌たちは一斉に実力行使に出ただろう
私達人間の観察者が、コミュニティ全体が道徳的秩序を維持していると実感するのはこんな瞬間
雌チンパンジーたちの反応について「ジモーの行動は行き過ぎた」と道徳的な見地で語る人もいれば、「チンパンジーは攻撃に反応して吠え声をあげることがある」と中立的な表現で説明する人もいる
後者の解釈には問題もあり、母親が自分の子供を叱る、またおとなの雄が子どものいさかいをいさめるときには、たとえ雄が力を行使しても、吠え声は起こらない
吠えるのは個体同士の関係や生命が重大な危機にさらされたときに限る
こうした特徴を理解する上で、規則と違反という概念が役に立つだろう 規範規則と秩序の感覚はまぎれもなく、階層組織に由来している
階層組織では、下位者は支配者に常に注目していなくてはならない
社会的な規則がすべて、威圧と支配を通じて生まれるわけではないが、規則運用の原型と言えるものは上から下へと伝わる
地位の上下があることを認め、上にいる者の立場を尊重しない限り、社会規則に敏感に反応することはできない
孤独な狩猟者として進化してきたネコは人間の道徳体系の外の枠で生きている 他者の意見や反応を意味のあるものとしてとらえないかぎり、規則や規範を尊重するようにはならない
懲罰を恐れる気持ちも重要だが、それがすべてではない
グループに所属してそこになじみたいという欲求も関わってくる
この分野の先駆者であるローレンス・コールバーグによると、がこれらの要素は人間の道徳性発達の初期段階から早くも見られるという 従順になって面倒を避けたいという衝動にはじまり、やがて他者を認め、喜ばせたいと思うようになる
子供はおとなに認められたいと思い、おとなは絶対的な道徳の知識を持つ神に認められたいと願う
道徳性はそれだけにとどまらないが、一番根本にあるのは、地位の高い権威への服従である
だがこれは、後の段階に属する能力にくらべて、人間独自のものではない
権威への服従は、仲間の霊長類のみならず、それ以外の動物にも見られる根本的な志向
イヌに服従と他者を喜ばせたい欲求が顕著なのは偶然ではない イヌは賞賛と懲罰にとても敏感だが、権利や平等を重視するといった高度な道徳性になると、理解の範疇を超える
垂直方向の並びはわかっても水平方向で考えたりはできない
イヌの主人になりたがらない飼い主は、イヌの精神的安定に不可欠な要素を奪ってしまっている
家族の中で、飼い主の下にいられないイヌは最高位に立とうとする
法と秩序を重んじるイヌの精神構造は、群れで狩りをしていた祖先から受け継いだものだ
イヌやオオカミも積極的に子どもや他者に規則を教え込むこともある 支配的立場にある者が懲罰を与えるために、わざと規則違反が起こるのをまったり、ときには違反を誘発したりする
古い骨は食べてはならないというタブーを「宣告」した
それでも子どもが骨を取ろうとすると、たちまち父親は子どもの襟首を咬んで、激しく振り回した
当然子どもは悲鳴をあげ、放してもらうとすぐに仰向けになって服従の意を示した
それからまもなく、父イヌが別のことに気を取られているあいだに、罰を受けた子イヌが用心深く骨のほうに近づいたが、結局気づかれて折檻を受けるはめになった
こうしたことは何度か繰り返され、子イヌは年長者の反応を確かめたがっているようにも見える
雌オオカミが子どもたちをたまり場に残してあるき出した
子どもたちから自分の姿が見えなくなったところで、雌オオカミは向きを変えてうずくまり、いま来た方向をじっと観察しはじめた
やがてたまり場を離れた一頭の子供が、急ぎ足で坂をのぼり、潜んでいた母親に出くわした
母親は低い唸り声をあげる
子どもは急に立ち止まり、あたりを見回して、何もなかったふうを装って来た道をもどり始めた
母親は子どもをたまり場まで連れていき、またその場を離れる
今度は隠れても来た方向を見ようとはしなかった
子どもたちは教訓を身に着けたらしく、夕方になって母親が戻ってくるまで、たまり場から動かなかった
例3. アメリカの人類学者・霊長類学者のバーバラ・スマッツは牧羊犬の血を引いた雌の飼い犬サフィが規則を教える行動を見せたことを記録している サフィは近所のエアデールテリアのアンディと遊ぶのが日課
年齢はサフィの方が上なので、彼女はアンディを支配する立場にあった
サフィとアンディに何度もボールを投げてみる
ボールをくわえるのはかならずサフィで、アンディは自分のすぐそばにボールが落ちても、ぐずぐずして取ろうとしない
ボールがおかしなバウンドをして、アンディのすぐ足元に落ちたとき、サフィは離れたところでじっとしていた
アンディはボールをくわえて、私のところに持ってきたが、このときサフィに気分を害したような様子は見られなかった
次にボールを投げるとサフィが取ったが、彼女はボールをアンディの目の前にぽろりと落とし、その場を離れてじっと待った
アンディがボールをくわえた瞬間、サフィは彼に飛びかかって地面に倒し、低い唸り声を上げながら首根っこを咬んで動けなくした
アンディはすぐにボールを話して、服従した
「愛情を注ぐことなくひたすら厳しくしつけると、若いイヌは心が傷つき、能力を発達させることができない。自信の基盤となる心からの信頼を築けないからだ。」
「健全なしつけとは、意思を持たないうちひしがれた奴隷を作ることでも、命令したときだけ動く機械を作ることでもない。自分の願望を殺して高度な判断を優先させ、自由な意志で働き、また働くことに喜びを見いだせる生き物を作ることなのだ。」
「眠っている性質や能力を呼び覚まし、極端な行動を抑制し、弱点を克服して、あらゆる過ちを正しい方向に導いてやること。それがしつけということだ」
ただし階層序列への志向をもつのはイヌだけ
霊長類にも階層志向はあるが、彼らの場合は連合を組む性質、すなわち2つ以上の党派が力を合わせて別の党派に対抗するという強い性質に打ち消される部分もある 連合を組むと通常は支配者の立場が強くなるが、場合によっては下位者が団結して上位者に対抗することもある
これに互酬的なやり取りが加わって、特にチンパンジーでは原始的な平等関係の志向が生まれる
チンパンジーの平等関係志向は、群れが魅力的な食べ物に出会った時に観察できる
チンパンジーの間では、食べ物のおねだりがよく見られる
おねだりをしても無視されると、興奮して不満をぶちまける
かんしゃくの爆発は劇的な効果があり、しかたなく相手は持っている食べ物を少し分け与えることになる
これに対してアカゲザルの社会は支配者がとても厳しい 下位者は安全なところから、支配者が食べるのを黙ってみている
彼らの世界には分配はむろん、ねだったり独占に抗議するという行為は存在しない
この違いを要約するなら、アカゲザルは食べ物の分配に関する「期待」の内容が、チンパンジーとは異なるのだと言える
私達人間の言う公平・不公平の概念との類推で、これを社会規律の感覚と呼ぶことにする 「自分(あるいは他者)が当然受けるべき扱い、資源を分割する方法に関する一連の期待」
実際の状況がこうした期待からはずれて自分(他者)の不利になるときは、否定的な反応が起こる
下位の個体であれば抗議であり、支配者であれば制裁
近しい者、特に血縁者であればその利害を考慮にいれることがあるかもしれないが、他者のふるまいに対する是非の感覚はあくまで自己中心的なもの
「期待」の中身はその都度決まるのではなく、種に特有のものだということを忘れてはならない
人間では平等であることへの期待がはっきり示されており、だからアカゲザルの規則を見てチンパンジーのものと比べて「不公平」だと感じる
人間の視点にも偏りがあること以上に重要なのは、どんな動物も他者に期待できること(あるいは期待するようになったこと)に従って行動し、自分のなかに確固とした生活様式を作り上げている事実
「期待」は直接目で見て確認できない
そもそも動物は期待などしているのか
期待という用語を経験的に定義するなら、特定の結果を熟知し、のぞむこと、それも、仮に予想を裏切る結果になったとき、混乱、驚き、苦痛といった動揺が起こるほどに熟知している場合 決まった場所にいつもバナナが隠してあることを学んだサルが、その場所にレタスの葉しか置いてないと知った時、サルは途方に暮れ、レタスには手を触れないまま周囲を見回し、その場所を何度も確かめてみた
実験者の方を向いて金切り声をあげたりもした
このサルがレタスでしぶしぶ「がまん」したのはずいぶん時間がたってから
動物たちに意図があるかどうかは、さらに厄介な問題
社会規則を論じるとき、それに従う者の視点で語るのは理にかなっていよう
学習で説明できる
規則を施行する側に立つことはできるか?
振舞いを教えあっているのか、それとも特定の状況に不満や反抗、ときに暴力で反応しているだけなのか
私自身は動物が他者の行動に意図的に制限を加えており、規則を強化している可能性を否定したくないと思っている
イヌやオオカミの例からも示唆されている
その可能性を裏付ける決定的な証拠があるとも断言できない
この仮説は実験で証明するしかない
今は社会の「規則」とか「規範」といった用語を使うが、それは意図の有無に関係なく、他者が行う行動修正のことだと付け加えておこう
動物が持つ社会規律の感覚を知るには、彼らの自発的な社会行動に注意を払って、その行動が他者にどう受け止められているかを観察する以外にない
支配者が下位者の行動を規制する、上から押し付ける規則は見つけるのが簡単
道徳性の観点から見て最も面白いのは、分配と相互利益を目的として全員に適用される規則だろう
オスのラウトがライバルのニッキーを追いかけていた。ラウトの友達で順位の高い雌のパウストがわざわざラウトを加勢してやった。だがニッキーは、ライバルと派手に衝突したあと、その協力者たちを一人ずつ追い詰めて報復する癖があった。このときもニッキーは、パウストに威嚇をはじめ、パウストはラウトに助けを求めて手をのばすが、ラウトは指一本動かさなかった。ニッキーがいなくなるやいなや、パウストはラウトに激しく吠えかかり、追いかけて彼を殴りつけた パウストが怒った原因が自分が助けたにもかかわらずラウトは助けてくれなかったことだとすれば、チンパンジーの互酬性も人間と同じように、義務と期待に支配されているのかもしれない
仲間を支配したい権力欲
「サルは高く登るほど、その背中がよく見える」
社会的な制約を離れると、人は欠点を露呈しやすいと警告している
権力は個人の属性ではなく、関係から生じるもの
権力者には、その優位さを支え、自尊心を満たしてくれる周囲の人間が不可欠
どんな約束事もそうだが、支配者と下位者の間の約束事も壊れやすい
誰よりもそれを知っているのが権力を持っている本人
権力が絶対的になればなるほど、恐怖はふくらんでいく
どの宮殿にも人知れず行き来できるよう道を覆い隠したという
共産党本部の建物の地下に、迷路のようなトンネル、脱出路、食料庫を三層にわたって作っていた
死によってしか止むことのない、飽くことなき権力欲は、およそすべての人間に共通する傾向である。人間がさらなる権力を追い求めるのは、これまでに得たより大きな歓喜を望むからでもなければ、適度な権力で満足できないからでもない。さらに大きな権力を得ることでしか、いま手中にある権力と、幸福に暮らす手段を確保できないからだ
他者の行動を支配したいという欲求は、時代を問わず人間が持つ普遍的な属性
動物行動の研究者すべてが権力欲の存在を信じているわけではない
最善の地位を目指す欲求が必ずしもその明白な動機とはみなされない
反乱が続いた結果、地位から転落する事例はたくさんあるが、 そういう研究者は記述の際は意図については全く触れない
政治ドラマを繰り広げる動物たちは無知で、自分のやっていることをわかっていないとする立場は、私には驚き以外の何物でもない
それより古くはないにしても、同じぐらい早くから言われていた視点として、動物は他者を支配したがるという考えがある
マズローは支配的地位にあるサルが自信たっぷりで生意気な雰囲気を持ち、対して下位者はこそこそと卑屈だと表現した
マズローは「支配衝動」の存在を仮定すると同時に、「服従」という用語には異を唱えた
これでは下位者が上位者を打ち負かすことを完全に諦めているニュアンスになってしまうという
それにもかかわらずマズローは、服従行動の役割を最初に推測した研究者でもあった
社会的劣位を認めることで、支配者を懐柔する効果があると考えた
上位者と出会ったときの下位者の行動
アカゲザルは背中を見せたり、笑うような顔で歯をむき出しにする 動物がこうした表現を見せるのは、社会的支配を極めて重要なものと判断しているから
しかし階層序列を「誰が何を得るか」という観点で分析していた時代には、そのことは無視されていた
このアプローチにはいくつか問題点がある
第一に、「誰が何を得るか」が順位だけでなく、社会的な寛容さにも左右されること
チンパンジーの場合、雄が手にとっている食べ物が雌に奪われるのはよくある 第二に、衝突の勝ち負けにはいろんな形がある
あわてて逃げ出すのと、懐柔のディスプレイをするのとでは全く意味が違う
勝ち負け以上の何かがやり取りされているのは明らかな接触
群れの中の第一位のオオカミが、毛をふくらませたしっぽを立てているとき、下位のオオカミたちはしっぽを後ろ足の間に挟んで、第一位のオオカミを取り囲む
第一位のチンパンジーがふんぞりかえっていると、下位のチンパンジーは遠くからでも駆けつけて媚びを売る
地位確認のための儀式は、様々な関係の図式に光を当てるとともに、階層序列志向と団結志向を表現している
日常的な衝突やそれが引き起こす結果とは異なる
公式順位の変更は、下位者による一連の挑発行動を通じて起こる事が多いが、下位者がそうした衝突で打ち負かされたり、怪我をすることもある
ボスに特別な敬意を払っていて、しょっちゅう会釈をしたり、ちょっとでも威嚇されると飛び上がって逃げていたある雄のチンパンジーが、体が大きく成長し、支配者に少しずつ近づいて毎日ディスプレイをしたり、枝や大きな石を投げつけて、自分の方に注意を向けさせようとする
最初のうちはこれといった展開にはならないが、群れの他の仲間がどっちを応援するかによって、一定のパターンができてくる
こうしたプロセスは過去に沢山目撃してきたが、どの場合でも決定的な転機は下位者が初めて勝利したときではなく、相手の服従を勝ち取った時だった
相手が正式に服従して初めて、挑戦者は攻撃的な行動をやめて寛大な態度になる
順位の逆転にこれほどのエネルギーが投入され、ときに生命も危険に晒しながら、ひとたびどちらかが服従したらとたんに態度が変わる
新しい秩序を認識させることを目的とした、行動と反応の交互の繰返しとしか言いようがないのではないか
霊長類は支配的関係を意識しており、連合や肉体的能力の変化によってチャンスが訪れれば、いつでも地位向上を試みるものだと私は確信している
サルや類人猿は、他者と相対的に見た自分の立場はもちろんのこと、それ以上のことを認識している可能性がある
この結論は私達が行った調査でも裏づけられている
サルは誰が自分より上か下かだけでなく、一つの階層におおよそ何頭ぐらい属しているかも把握しているのではないかとセイファースは推測した
他者の順位関係までわかっていないと、そういう意識は生まれない
彼らが階層序列を把握していることを示す象徴的な行動がいわゆる「ダブル・ホールド」 同センターでは数多くの雌による例が何百件も観察されている
典型的なダブル・ホールド
腹に子どもをしがみつかせた母親が、あたりをうろうろしている別の雌の子どもを拾い上げる
彼女はまるで双子の世話をするように腕に一人ずつ赤ん坊を抱くのだが、しばらくすると後から抱いた方を放す
母親がダブル・ホールドする赤ん坊は、10回のうち9回まで自分より順位が高い雌の子どもだった
ダブルホールドされる側の母親は現場のそばにいないのが普通
雌のアカゲザルは、自分より順位が上の雌の子がどれで、順位が下の雌の子がどれか把握しているものと思われる
アカゲザルを含むマカクは自分より高順位の者に接触しようとする傾向があるし、そうした接触は身体の保護や食べ物をめぐる寛容さという見返りとなって戻ってくることが多い
それを考えると、ダブル・ホールドは高順位者への働きかけをごく早い段階ではじめる一方法
兄弟姉妹が結びつきを強めるのと同じで、子どもは母親に近い者と親しくなる
ダブル・ホールドのような行動が長期的な利益をもたらすことは大いに考えられる
ダブルホールドは母親が高順位の子どもに引きつけられるというだけの話で、我が子への関与はごく小さなものではないかという反論もあるだろう
しかしそれではダブル・ホールドが高い頻度で起こるのを説明できないと思う
ローピーの例では、第一位雌の子供が生まれて初めて一人歩きをしたとき、自分の方に近づいてきた子どもに親しみをこめて唇を鳴らしたが、抱き上げたりはしなかった 数メートル離れた隅で遊んでいた末娘のほうにしきりに目をやり、意を決したように隅に走って我が子を抱き上げると、第一雌のところに戻ってダブル・ホールドをした
サルや類人猿が支配的関係を重視し、地位や結びつきを積極的に求めることから、彼らの集団生活には2つの矛盾する戦略が内包されていることがわかる
第一の戦略は、社会秩序の弱点を探り、自分の地位を引き上げる隙間を探すというもの
第二の戦略は、第一の戦略に対抗して現状維持を目指すもの
最大の恩恵を被るのはいま最善の地位にある者たち
しかしその結果社会が安定することで、助かる者もいる
それは群れが全面戦争に突入したとき、真っ先に被害を受ける弱者や弱い者たち
そのため身の安全が保証されるのであれば、社会の下層に属する者が支配権力を応援する取り決めを結ぶ可能性もある
社会とは2つの矛盾する戦略が拮抗している状態であり、だからどんな社会も、単に各部分を足し算したものではない
研究ではシステム全体を犠牲にして個体に注目しがちなのも事実
だが社会の構成員は、最上位と最下位の者を除けば、誰もが支配者であり下位者なのだ
「ヒエラルキーのメンバーは、ローマ神話のヤーヌスのように反対を向いた2つの顔を持っている。下位レベルに向いているのはそれ自体で独立した存在の顔であり、頂点の方を見上げているのは、依存的な部分の顔である」
社会的な階層序列も構成部分に分解してしまうと理解できない
上位者の利得だけでなく、「下位者」にとっての恩恵も調べて、組織全体を検討する必要がある
階層は資源だけでなく、社会的受容をも個体に分配している
それゆえ階層は資源をめぐる競争の場であると同時に、個体同士を結束させる場にもなっている
階層に個体を束ねる役割があることを考えると、相互協力的な種ほど公式的な階層を発達させているのも驚きではない
遠吠えするオオカミの群れや、ホーホーと声をあげてドラミングするチンパンジーたちは、外から見ると調和を保っているようだが、その背後には組織内の順位付けが存在している オオカミは狩りのときに協力するし、チンパンジー(少なくとも階層意識がはっきりしている雄)も敵意持つ別グループに対して、力を合わせて身を守ろうとする
団結しているという印象を崩さない程度に、階層内部の競争は抑制されているのである
人間にも同じことが言える
社会心理学者ムザファー・シェリフは、サマーキャンプにやってきたアメリカ人の少年達をグループ分けして古典的実験をやってみた すると、グループ対抗の競争などで共通の目標にむかうとき、グループは階層的な色彩が濃くなり、リーダーシップが求められるようになったという
階層は「おまえがこういうことをしたら、私達はおまえがいることを嬉しく思う」「おまえがこういうことをしたら、罰を受けるか、ことによっては追放される」という趣旨の条件を課すことで、個体を束ねている
下位者はかならずみじめな生活を強いられているわけではなく、下位者の扱いはそれぞれの種が持つ社会規律の感覚に左右される
もっと乱暴で厳しい種でも、何らかの寛容の手段が用意されているから、よほどのことがない限り下位者がつまはじきになったりしない
お互いの順位を認めることで、社会的受容の道が開かれる
チンパンジーでは、ランクの高い雄が喧嘩した後、全身の毛を逆立てたまま、相手をじっと見すえてもう一度近づくことがある
相手が身じろぎもしなければ、ふたたび喧嘩が再燃することは避けられない
だが、大抵の場合、相手は頭を低くするので、上位の雄はお辞儀をした彼の体に腕を置き、キスと抱擁で和平を確かなものにしたあと、さっと向きを変える
彼らの場合、公式のランクは下位者の手首を咬む振りをすることで確定する
この動作は下位者以外の者には決して行われず、下位者は支配者の鼻先に腕を差し出して、咬む振りをしてくれとばかりに動かすこともある
アカゲザルにこのような儀式は見られないが、ウィスコンシン霊長類センターにいた第一位雄のスピックルズは自分だけの方法を編み出した 高齢で関節炎を病んでいたスピックルズは他のオスに罰を与えようと追いかけても、天井の方に逃げられるともう捕まえることができない
しかし雄が地上に降りてくると、スピックルズは決然とした態度で近づき、雄の頭や首をしっかとつかんで頬に一瞬咬みつく
そして手を離し、群れに戻してやる
雄であればおとなも子どもも関係なしだった
ときにはやられた雄が、下位者であることを示すグリマスを顔に浮かべながら離れていくこともあった スピックルズの噛みつき行為に雄が抵抗したところは一度も見たことがない
おそらく雄たちは幼いときからスピックルズ独特のこのお仕置きを受けてきたのだろう
ベニガオザルと同じで咬むといってもあくまで儀式的なもので、雄の体には傷は少しもついていなかった
このように上からの一方的和解には相手の協力が不可欠であり、それゆえ当事者たちはお互いの順位を理解していることがうかがえる
支配者が地位確保のために威嚇して、戦闘的な雰囲気になったとしても、いまひとたびの和解を損ねるほどではない
上からの一方的和解は、ある環境のもとでの条件つき降伏と和平とを結びつける環の役割を果たしている
下位者が低い順位と儀式的な懲罰を受け入れることで、支配者も下位者の存在を認める
衝突や規則違反があったとき、人間は懲罰を受けるのが「当然だ」という意識を持つ
攻撃された、あるいは違反を受けた側が懲罰の必要性を感じるだけでなく、やった側も、犯罪には懲罰を伴わないと関係の正常化が望めないことを認識している
罪悪感や恥の意識は人間だけのものかもしれないが、他の霊長類に見られる一方的和解は、人間の和解プロセスを理解するための青写真となる
地位が平等な人同士でも、一方が避難すれば、相手は視線をそらし悪いことをしたと謝罪するだろう
こうして一時的に支配者-下位者になることで、関係のバランスを修復している
社会的な受け入れ条件を定めているという点で、階層序列と道徳的な取り決めは共通点が多い
どんな行動が社会で受け入れられ、どんな行動が認められないのか
その線引を行うことが、善悪の概念が発達する第一歩
もっとも、権威を背景にした取り決めは、私達の考えるような道徳性とは違って、ごく限られた形の道徳性ということになる
地位の高い者に認められれば、良心は痛まないというだけのこと
また、コールバーグが指摘するように、道徳性が発達をはじめた初期の段階が、服従と順応の概念によって充分に理解できるかどうかも怪しい
幼稚園児ぐらいの子どもは、他人に及ぼす影響によっては規則違反を理解することができる
発達心理学者のラリー・ニッチとエリオット・ターリエルによると、子どもたちは単なるエチケット違反よりも、物を盗む、嘘をつくといった他人を傷つけるルールを深刻に考えていることがわかった 子ども達の頭は明らかに、社会の決まりよりも、他の人の利益を守る規則を重視している
権威を尊重して言われたとおりのことをするというのは、確かに道徳的能力が進化し、発達していくうえでの一つの位置を占めているが、それ以上のものではない
こうした傾向に感情移入や共感といった他の要素がとけあって、はじめて道徳性が姿を表す
罪悪感と恥の意識
ネズミに5切れの食べ物を与え、5切れ目に手を伸ばした時に頭上で手を叩いて驚かせる 繰り返していくと、4切れ目までで食べるのをやめる
デイビスが実験の内容を微妙に変えてみたところ、ネズミは人間が押し付けた規則を重んじていないことがわかった
実験者が部屋を出ていくと、ネズミは4切れ目を食べたあとでいったん動作をやめ、後ろ足で立ち上がって鼻をならしたあと、嬉々として目の前の食べ物をすべて平らげた
同じ実験をイヌで試みたという報告はないが、違う反応をすることは容易に想像できる 訓練者がその場にいなくても、イヌは命令に従うことが多い
制裁と切り離されてもなお行動を抑圧できるほど規則が浸透していることを規則の「内面化」と呼ぶ 内面化がほぼ完ぺきにできているイヌでさえ、ときに弱い自分に負けてしまうことがある
家人がまだ誰も気づいていなくても、イヌは耳を寝かせ、しっぽを後ろ足のあいだにはさんでこそこそと逃げていく
バリーと他のイヌがそれまで見たこともない大喧嘩をしていた
止めに入ろうとしたローレンツはバリーを叱らなかったし、むしろ安心させようとなでてやったのだが、バリーがまちがって咬んでしまい、自分のしでかしたことにすっかり我を失い、神経がおかしくなってしまった
バリーはぼんやりして、餌にも全く興味を示さない状態が何週間も続いた
それまで人を咬んだことのなかったバリーは、過去の経験に照らし合わせて自分の行為を判断することができなかったのだろう、とローレンツは書いている
自分より上位の者に危害を加えてはならないというのは、イヌの世界では絶対的なタブーであり、もし同じイヌどうしでそんなことをすれば最悪の結果になったはず
だとすれば、バリーは罪の意識に苛まれたというより、懲罰、おそらくは群れからの追放を恐れていたのではないか
シベリアンハスキーのマンゴーは、飼い主の留守中に新聞や雑誌、本をビリビリに破る悪い癖があった 飼い主はすぐにマンゴーを犯行現場に連れて行って、お尻をたたき、大声で叱る
マンゴーの悪癖はなかなか抜けず、しかし飼い主が帰宅すると「やましさ」を示す行動をとるようになった
マンゴーは自分のしていることが悪いことだと分かっているが、留守番させられた恨みでやっていると思われていた
ヴォルマーの実験
まずマンゴーのいない部屋で、飼い主に新聞紙を破ってもらう
マンゴーをその部屋に戻し、いったん飼い主は外に出て、15分後に戻ってきてもらった
するとマンゴーは自分で新聞紙を破いた時と同じように、罪の意識を伺わせる行動をとった
マンゴーは$ 証拠 + 飼い主 = 叱られるという公式しか理解できていなかったのだ
この結果からわかるように、規則を破ったイヌの行動は罪悪感の現れではなく、階層序列に属する動物が見せる典型的な態度
怒っていると思われる支配者を前にして、なるべくなら攻撃を受けずにすまそうと、服従と懐柔をないまぜにして見せた
イヌの服従の度合いは品種によってばらつきが大きい
いずれにせよ、飼いならされた動物にも規則の内面化が起こるという事実の前は、道徳性の進化に疑問を挟む人も立ち止まらざるを得ない
同様に、イヌでは人為選択の対象となる特徴が、人間では自然選択の対象になっている可能性も排除することはできない
誰かにつかまる恐怖から、ドストエフスキーばりの複雑かつ内面的な罪の意識に至るまで、内面化が引き起こす感情はどれも私達に馴染み深いものばかり
だが、他の動物も良心の呵責に近いものを感じているかというと、いまのところはわからない
だからといって、人間とイヌがかけ離れているわけではない
懲罰の予測と大切な関係が壊れることへの恐怖は、罪悪感とも無縁ではない
規則がある程度内面化していれば、懲罰の可能性が低くても規則に従うはずだ
そして懲罰を受ける恐怖が内面化すればこそ、私達は罪悪感を覚え、その行為が発覚しないとわかっていても自分を責める
辞書には恥とは罪悪、不名誉、不体裁の感覚が原因で起こるつらい感情と定義されている
恥という感情の根底には、他人の目に自分がどう映っているかという意識がある
マンゴーは手に入るだけの情報から、ご主人が今の状況をどんなふうに受け止めているか、悪さを誰のせいにするのかといったことを推測する必要がある
つまり結果から遡って考えなくてはならない
もちろんマンゴーの行動は連合学習でも十分に説明できる
人間の良心の作用は豊かだがとても複雑で、独自の原理や論理が働いている
罪悪感が規則や価値観の内面化に由来し、恥の意識が他者の意見を気にしている表れだとすれば、どちらも実に複雑な感情
自意識、立場の展望、他人の心の推察もからんでくる
道徳性は情緒から導き出されたという、いわゆる道徳情緒説を支持する人でさえ、認知的要素は必要だと認めている アダム・スミスは人間の思考や行動が「公平な傍観者」によって監視されていると考えた だが私達は、内面化の力を過大評価してないだろうか?
おそらく罪悪感も恥の意識も深く根ざしたものではないのだろう
ただ否定的な結果を恐れる気持ちは頭の片隅には残っているから、道徳的な推理力が大きく道をはずれることはない
そのため行動を外側から取り締まる力と内面から制御する力、この2つを結ぶ環が、完全に消失するようなことはないだろう
霊長類では、高順位の雄が順位の低い雌の性生活に関与することは広く知られている 懲罰と行動支配の関係が、霊長類でも観察できる
カニクイザルの檻は、屋外と屋内がトンネルでつながっていて、私は屋外での彼らの行動を追跡していた
カニクイザルの第一位雄は、屋外と屋内を監視できるよう真ん中のトンネル内に座っていることが多かった
第一位雄が屋内に入ると、他の雄たちは外の雌に接近を始める
普通そういうことをすると大騒ぎになるのだが、いないと邪魔されずに交尾ができる
だが懲罰への恐怖が消えたわけではなく、交尾後すぐに低位の雄が何も知らない第一雄に出くわした時に、顔いっぱいにグリマスを張り付かせ、極端なほど服従の態度を見せた
支配的地位にある雄のマカクを透明な小部屋に入れ、そこから見えるところで、下位の雄と雌を一緒にした
しかしこの状況で、雌と性行為をした下位の雄は一頭もいなかった
次に支配者の雄をその場から連れ出したところ、下位の雄達は雌と交尾するだけでなく、はねまわったり、しっぽを誇らしげにぴんと立てて歩きまわったりと、高順位の雄に特徴的な行動を見せた
ところが、第一位雄が戻っってくると、下位の雄たちは雌がいないとき以上に彼を避け、服従し始めた
「マカクは社会的役割に関連した行動規則を取り入れ、社会規範に意図的に反したことを認めるような反応を示すという、興味深い証拠が得られた」と二人の研究者は結論を述べている
こういう「鬼の居ぬ間に洗濯」という状況は見ていてとても面白い
ウィスコンシン霊長類研究センターのアカゲザルのグループの繁殖期に、5, 6頭の雄は少しもじっとしておらず、第一位雄のスピックルズも彼らの監視にいささか疲れた様子だった
スピックルズはときどき屋内に入って、長いときには30分ほど出てこなかった
その間他の者にはいくらでも交尾のチャンスがあった
第二位雄のハルクは雌に人気があり、このときばかり何度も交尾をした
しかしスピックルズの動向が気になって仕方がないのか、ドアのひび割れから何度も屋内を覗き込んだ
アカゲザルの雄は何度かマウンティングを繰り返さないと射精に至らない
ハルクは交尾相手とドアの間を10数回も行き来して、ようやく一連のマウンティングを終えた
どうやら霊長類の社会規則は、支配者のいるところでだけ守り、いなくなると忘れるというものではないらしい
社会規則による抑制は深く浸透しており、そのため規則を運用する支配者がどう反応するかという懸念が、当の支配者がいないところでも働いている
イヌやウマなど人為的に交配された動物の服従に比べれば、霊長類の場合は確かに規則の内面化と呼ぶには弱い
だが、霊長類の中で罪悪感と恥の意識が発達をはじめた、その出発点と考えられるのではないか
手に負えない若者たち
サルがどんなふうに社会規則を身につけるのかはあまりよくわかっていない
しかし、このテーマを調べると、人間の道徳性発達との興味深い共通点が浮かび上がってくる
デイビスがネズミに関する論文で書いたように、人間の道徳性は「他の首都の関連があまりに薄い用語でほのめかされる」傾向があった
一体どうして道徳性は重要なのか
あらゆる社会組織に適用できる規範の定義、種同士の比較に基づいた定義は、本来なら連続している行動に用語上の問題だけで垣根を築くような擬人化した概念よりは、よっぽど社会学の理論とそりがあうだろう。
サルの新生児は無制限の自由を享受できる
赤ん坊の間は順位の高い雄にぶつかっても、また他の誰かが狙っている食べ物に手を伸ばしても、脅されたり追いかけられたりすることはない
私達がアカゲザルで調べたところ、赤ん坊はその母親よりも水飲みの順番で優先されていることがわかった
また同じおとなでも、高順位の雌より雄の方が寛容なので、子どもは雄の方に近づくことを学ぶ
赤ん坊の母親もこの特権を認識しているようだ
ヒヒの世界では食べ物がそばにあるとき、支配者の雄の個人領域に入り込むのは普通ならタブー
ところがある母親は食事の時間に、子どものしっぽをしっかり握ったまま、雄の領域に踏み込ませていたた
母親は何度か子どもを引っ張り戻して、食べ物の切れ端をせしめた
それに気づいた雄が母親を威嚇すると、母親は背中を向けて食べ物を隠した
子どもはいつも威嚇に反応するとは限らないので、おとなとしては合図を極端にせざるをえなくなる
眉をかすかに上げたり、一瞥をくれたりする(若者相手ではこれで充分)代わりに、じっとにらみつけたり、口を開いたり、耳を広げたり、頭を動かしたりと、一通りのことをやる
おとなが赤ん坊の頭を両手で抱え、顔を近づけて威嚇したのを見たことがある
幼い子は曖昧な警告に無頓着なことが多いので、おとなの側もこうした「教育的」威嚇をすることを覚えたのかもしれない
だが子どもが成長するにつれて、脅しを無視したときの報いは重大になってくる
こうして若いサルは、どんな状況、どんな相手を避けるべきか学ぶ
攻撃を受ける危険性は種によって差があるが、一番危ないのはアカゲザルだろう
アカゲザルには懲罰を受けて手足の指をなくした子どもが多い
それでもあえてやるのは、アカゲザルが階層序列を重視している表れなのだろう
ウィスコンシンのアカゲザルグループには、オレンジという第一位雌がいた
スピックルズのように彼女も独自の懲罰方法を持っていたが、オレンジは本気で咬み付いた
面白いことに、オレンジが咬むのは生後6ヶ月の赤ん坊だけ
子どもを掴んで手首に噛みつき出血させ、犠牲となった赤ん坊は数日間は怯えきっており、オレンジに不用意に近づこうとせず、彼女の動向に注意を払うようになる
子どもが一番こたえるのは、咬まれた痛みそのものよりも、誰も助けてくれなかったことだろう
私はこのグループを10年にわたって観察していたが、その間にこのパターンは簡単に予測できるようになった
オレンジの犠牲にならない赤ん坊はほとんどいなかった
アカゲザルの繁殖期である秋が来るたびに、オレンジは新世代に恐怖と秩序を教え込むのだとばかりに手首咬みが観察された
だが赤ん坊や子どもに対して一番攻撃を加えるのは、他の誰でもない母親
実際には傷がつかない程度の物が多いが、本当に咬んだり、ときには傷つけたりすることもある
母親の攻撃は、子どもにとって目先の利益にならないが、階層構造を持つ社会環境で生き抜くための、慎重さと自制心を養うことになる
規則の実施と同じように、この社会教育も意図的なものかどうか疑問
若いサルが行動矯正を受けて人生の教訓を学んでいることは間違いない
だがおとなは必ずしも、意図的にそういう教訓を教えているとは限らない
この疑問は動物が自分の行動が及ぼす影響をどの程度理解しているのかという問題と深く結びついている
ハンディキャップを背負ったサルの例のように、社会教育を完全に放棄して好きにさせる事はあるのはなぜか
社会規則と言っても、誰かが積極的に実施し、相手は一方的に受け身で学ぶだけと考えてはいけない
学ぶ側による評価や社会探求も含まれたダイナミックなプロセスを通じて確立されていくもの
チンパンジーの子どもは、泥や小石を投げつけたり、棒でたたいたり、水しぶきをかけたり、居眠りしているとき頭に飛び乗ったりと、年長者相手に好き放題のことをやる
たいていの場合、からかわれたほうは非常に寛大で、子どもをくすぐったり、追いかけるふりをして一緒に遊んでしまったりする
オットー・アダンがアーネム動物園で若いチンパンジーのからかい行動を観察したところ、真に受けて起こる者ほど、いっそうからかわれてしまうことがわかった アダンは様々なからかいのテクニックと、それに対する反応、また成長に伴う変化を記録した
当たり障りのないものもあれば、思春期の雄が雌と戦おうと、明らかに挑発的な動作をする場合もある
砂を顔めがけて力いっぱいなげつけるのは、相手の反応を呼び起こす確実な方法であり、社会における自分の地位を確認できるやり方でもある
つまりからかいは、社会環境についての情報を収集し、権威を研究する上で役立つ
社会が定めた自分の限界は知っておかねばならない
その重要性は、霊長類の若者が頻繁にからかい行動をする事実が裏づけている
顔を赤らめる霊長類
社会的・宗教的影響力に対する極端なまでの感受性は、人間社会における「評判」が果たす役割と密接に結びついている
たいていの行動では、評判がアメとムチの役割を果たしている
このシステムの中では、関与能力に応じてパートナーが選択される
だあがこうして周囲を詮索ばかりしていると、本末転倒で社会の鏡ばかりが重視され、面目を失う事を極端に恐れるようになる
個人の評判が日によって変わるとすれば、社会規範に固執する意味はほとんどないはずだ
評定は定着しやすく、またとても傷つきあy水もの
コミュニティのなかで尊敬される人間になるには、どんなときも一貫した態度で臨まなければならない
決められた道から外れたくなる誘惑に打ち勝つには、善悪に対する確固たる考えが必要
ほとんどの人は、社会に吹き込まれた価値観と個人的な体験が組み合わさった思考と行動のパターンを確立しており、そこから外れるのがとても苦痛に感じられる
人は一定の進路を保つのに、他人の反応に左右されたり、その場その場の状況に対応するのではなく、自分の中にある羅針盤に従っている
その羅針盤を罪悪感と恥の意識という強烈な感情
他人が信頼できるかどうかを判断するとき、私達が求めるのはその内面的な強さ
アメリカの経済学者で、評判と感情的な傾倒に関する詳細な著作をものしたロバート・フランクによると、人前で寛大さを装ったり、規則を守る振りをしても意味はないという そんな上辺だけの行動と、内面の深いところから出てきた行動の違いはすぐに見破られる
フランクは著書『理性のなかの熱情』のなかで、清廉さと公正さを重んじる人はプライベートな利得の機会を見過ごすが、そのかわりご都合主義者には手に入らない別の機会を作り出していると説明している
人間が進化してきた歴史において、評判を確立することは常に重要な位置を占めてきた
そのため非倫理的なやり方を試みる者には、厳しい障壁が待ち構えている
いくらそれを隠そうとしても、声や目、顔や首の血管が赤らんで、罪と恥の意識を明らかにする
顔を赤らめることが顕著な特徴だということは、ダーウィンが以前から認めていた
「顔の紅潮はとても独特で、あらゆる表現のあんかでも最も人間的だ。サルは感情が高ぶったときに顔を赤らめるが、どんな動物もそうなるかどうかは、もっと多くの証拠を集める必要がある」
恥やとまどいを表に出すことで、どんな得があるのだろう?
顔の紅潮という特質を進化生物学の自己利益モデルに当てはめる前に前提をいくつか追加しておく必要がある
たとえば協力して何かをするときのパートナーとして、自分は適格だという印象を周囲に与えなくてはならない
内面的な羅針盤が強力に機能しているからこそ、罪悪感や恥の意識が出てくるわけで、それを示すことで信頼に足る存在だとアピールするわけだ
顔色一つ変えずに嘘を付く者、良心の呵責が表情に出ないもの、何かにつけて規則をやりすごそうとする者が、いい友人や仲間になれるとは思えない
抑えようとしてもついでてしまう紅潮は効果的なサイン
ただし、進化上の利益と、実際の動機を混同してはならない
顔色は自分で変えられないのだから、他人に好ましい印象を与えるための計算ずくの戦略に使えない
私達の精神や身体を作り上げてきた進化プロセスと、行動の背後にある動機は別のものだという味方は、生物学者に広く受け入れられているわけではない
いかなる状況下でも、利己心が人間の行動を左右していると考える学者もいる
そうでない行動をとる人間は、自分を欺いているというわけだ
人間の感情の欺瞞性は、いまだに議論の的
私達は規則や価値観を吸収できるように生まれついているが、そんな規則や価値観の多くは私的な利益より集団の利益を優先する
徹底的な内面化が行われた結果、規則や価値観は文字通り自分のものになっている
しかも不正の試みがおのずとばれてしまうような、生理的なメカニズムも備えている
こうした能力が発達したのは、協力が不可欠で信頼を基盤としていた私達の祖先の社会にとって、目的にかなっていたからに他ならない
性が違えば、モラルも変わる?
1972年、ジャネット・リーバーがコネチカットで子どもを対象に行なった実験は、いまでは古典的研究と評価されている 女の子のグループのほうが、男の子よりもいさかいが少ないことを発見した
また、女の子は紛争解決が男の子ほど上手でないこともあって、ゲーム自体も長く続かない
リーバーは観察と面接調査に基づいて、意見が衝突したときの対応の違いを次のようにまとめている
「男の子はしょっちゅう喧嘩していたが、喧嘩が原因でゲームが中断したことは一度もなかったし、どのゲームも7分間以上の中断はなかった」
「女の子は、喧嘩になると誰もがゲームの中止を言い出し、問題解決のための努力はほとんど行われなかった」
規則のあるゲームから子どもたちは道徳的な教訓をいかに引き出すのか
リーバーもこの先人の例にならって、女の子だけでやるゲームに比べて、男の子のゲームの方が紛争の裁決、規則の尊重、リーダーシップの発揮、集団としてゴールを目指すといったことがやりやすいと結論づけた
しかも女の子でも大きなグループにするのではなく、仲良し同士が二人ないし三人組を作らせて、女の子がよくやる縄跳びや石けり遊びなど、競い合うのではなく順番に遊ぶゲームをやらせれば、社会の中で感情をコントロールする微妙な能力を訓練することができる
こうした能力は道徳性の発達の一部というよりも、将来のデートや結婚に備えるという意味で価値が高いとリーバーは考えた
女性の道徳への関わりは、他者への愛着、親密さ、責任に根ざしているのに対し、男性の道徳観は権利や規則や権威に目が向いているとい
この2つをわかりやすく区別するために、前者を共感ベースの道徳性、後者を規則ベースの道徳性と呼ぶことにしよう
人間の道徳性はもともと規則と共感に基づいているのだが、男性と女性では両者を統合する道筋が違うというのがギリガンの考え
女の子だけのゲームでは感受性を養うことが、男の子だけのゲームでは紛争解決とフェアプレイの経験が、それぞれ道徳的に有意味
ギリガンは、様々な人の利害が衝突する状況を想定して、それをどう解決するか被験者に訪ねた
道徳的判断のジレンマに直面した時、女性は身の丈に余る高度な原理に畏怖を覚えるのではなく、現実的なアプローチで解決を図ろうとする
ギリガンの実験でも、女性の被験者は想像上の当事者たちについて詳しいことを知りたがった
そして被験者たちは抽象的な原理ではなく、社会関係の論理に基づき、当事者たちの要求に目を向けた解決策を出した
ギリガンは、道徳性が規則一辺倒になる危険性について次のように警告している
「実生活から倫理だけ抽出するときには、真実を求めるあまり人間を犠牲にする危険性がつねにつきまとう」
自分の信仰の強さを示すために、息子の命を差し出そうとしたアブラハムと、子どもの命を救うために、その子は自分の子ではないと嘘をついた女たちを対照させている
賢王ソロモンは、そんな嘘がつけるのは実の母親しかいないと見抜いた
モグラの一家に住む洞窟にハリネズミがやってきて冬の間に住まわせることになったが、ハリが痛いので出ていって欲しいと頼んでもハリネズミは居心地がいいので出ていかない
男の子たちが権利主体の解決策を選んだのに対し、ほとんどの女子は双方が納得できる解決策を提案した
もっとも、この両方の解決策を示した子も相当数いたし、どちらか一方を主張した子も他に方法があるかと尋ねられると、もう片方の方策に切り替えた
性によって傾向が異なることはたしかだが、どちらもその傾向とは別の考え方をすることができた
この明らかな研究結果から、ギリガンの研究仲間の多くは、道徳志向を男女で分ける二分法に疑問を持ったに違いない
そもそも男性は共感の表現に重きを置かないかというと、それは正しくない
確かに男性は権利志向かもしれないが、権利は抽象的で統制されているものの、配慮の一形式だということを忘れてはならない
権利と義務はたがいに手を携えており、社会における関係や責任とも結びついている
また逆に、女性は権利といった枠組みを嫌悪するという考えにも同意はできない
女性の権利を求める運動
言い換えれば、ギリガンが区分した2つの志向は、傍で見るほどかけ離れたものではない
ギリガンに対する反論の主役となったのが、ローレンス・ウォーカーが1万人以上を対象に道徳性の発達状況を調べた大々的な調査結果 収集したデータからは明白な性差が見られなかったため、ウォーカーは「男性と女性の道徳的判断は、違うというよりも似ていると言ったほうがよい」と結論を下した
もっとも、この分析で用いた道徳性発達の尺度からは、判断の根底にある厳密な規範や社会志向はわからないとウォーカー自身も認めている
男と女では態度が異なるというギリガンの指摘は直感的に納得できるものがあり、そのため批判者も二の足を踏む
アメリカの言語学者デボラ・タネンは『あなたは理解していない』で、まさにギリガンと同じ問題に触れている タネンは男性と女性の会話スタイルを調べて、男性は自主性と地位に関心を持ち、女性は親密さを重んじると分類した
だが同時に、そうしたステロタイプが広く普及しているのは、人間が持つ深遠な真実を反映してるからだと考えられなくもない
文化的な要素を考慮に入れない性差は少なくとも1つある
新生児は他の赤ん坊の泣き声に反応して泣き出す
しかもコンピュータでシミュレートした同じ強さの泣き声や動物の声より、同じ赤ん坊の声のほうに敏感に反応するから、音に対する感受性だけでは片付けられない
この現象は感情の伝染であり、感情移入の基盤と考えられているが、同じ赤ん坊でも男より女の赤ちゃんのほうが感情的伝染が強く起こることが各種の研究でわかっている
もう少し大きくなってからも、感情移入は女の子の方がよく発達していると思われる
マーティン・ホフマンは大規模な調査を行った結果、他者の感情を評価する能力に関しては性差はないものの、相手の感情がわかったことで強く影響を受けるのは女性の方だと断定した 男女に生まれた時から心理的な違いがあり、その違いが社会環境によってさらに微妙に変化するのなら、男の子と女の子が違うゲームで遊び、異なる社会ネットワークを築き、異なる道徳観を発達させることも充分考えられる
だとすると文化や教育は、そうした遺伝的素因に働きかけることで、性ごとの役割を形作っていることになる
だが、たとえそんな見方が正しいとしても、2つの基本的な疑問が残る
まずひとつは、どうしてこういった特定の性差が奨励されるのか
女の子は敏感さと順応性を身につけるよう教えられ、一方男の子は外に出て、他の男の子と競い合って自分の脳力を示すことが求められるのはなぜだろう
第二の疑問は、こういった性差を生み出した進化上の理由
私達が比較しているのはあくまで「平均的な」傾向であり、そうした類型で物事を考えるときにはつねに危険が伴う
もっともこの平均的な傾向は、長い目で見れば雄と雌が子孫を増やすのに一役買っていたかもしれない
雄は自らの地位を利用して交尾相手に近づくわけだし、こうして雌が生んだ赤ん坊は絶えず世話をして注意を払っていないと生き延びることができない
血縁と対立
霊長類全体でみた時、雌がもっぱら子育て役を務めている事実は否定できない
赤ん坊が助けを求めて出す殆ど聞こえないような声も母親は敏感に察知する
耳の聞こえない雌チンパンジーは、知らずに子どもの上に座ってしまったり、お腹が空いたという呼びかけに気づかず授乳期間が空きすぎたりして、結局子どもを死なせてしまった
霊長類の母親は気持ちのうえで子どもとつながっているので、決して自由になることがない
子どもが眠っていたり、おっぱいを飲んでいると動きたくても動けない
母親が休んでいるときに、子どもがほしくてたまらない若い雌に我が子がさらわれるかもしれない
子どもが大きくなってくると、重さもけっこうなものになる
独り歩きができるようになっても、母親は攻撃や捕食から守ってやるために注意をはらい、体の動きがついてこないときは助けてやらねばならない
樹上生活を送る霊長類の場合、母親は足やしっぽで木の枝をつかみ、手で別の木の枝を持って橋の役割を果たすことがある
子どもの金切り声に反応して母親が橋代わりになる
乳離しはじめたころになると、子どもはこのときとばかりに母親にしがみつく
もう少し大きくなると、母親の背中をさっさと渡ってしまい、しがみつこうとはしない
愛情を込めて世話する目的は子どもを育てることであり、哺乳類が進化を続けた2億年のあいだすべての母親はそれを繰り返してきた
こうした特質は親のありかたにも現れるが、ギリガンが指摘するように道徳的な問題へのアプローチにも反映される
女性にとって、権利だとか悪だとかいった非個人的なことは二の次で、それゆえ社会の結びつきを損なうくらいなら、むしろ妥協を選ぶことも多い
これとは反対に男性の道徳観は規則と権威に基づいており、支配志向と直結している
男性が集まるとたちまち階層的な関係が生まれ、協力して最高の力を発揮できる環境を整える
競争を基盤にしているとはいえ、その階層性は協力と社会統合の手段
喧嘩をすることも、男性にとってはお互いと関係を結び、相手のことを知って、友情に結びつけるための第一歩になる
だがたいていの女性にとって衝突は亀裂の原因でしかないから、こういう形での関係の作り方は理解できない
ジャネット・リーバーが男の子と女の子のグループで実験したように、男の子やおとなの男性はたとえ派手な喧嘩をしても、そのあとで仲直りすることが多い フィンランドのあるグループの調査によると、女の子同士が抱く恨みは、男の子同士よりも長く続くという
また、タネンは、男同士の悪意に満ちた会話に続いて、親しげなおしゃべりがはじまったと報告している
ほとんどの女性にとって、闘争は結びつきを脅かすものであり、何をおいても避けねばならないものだ。紛争になっても直接的な衝突なしに解決することが望ましい。ところが男性にしてみれば、闘争はそれぞれの地位を確かなものにするために必要な手段なのだ。そのため男たちは闘争を受け入れ、ときには自ら積極的に求め、応じ、楽しむのである。
チンパンジーでも階層性が強いのは雄であり、雌に比べて和解するのも早い
雌はどちらかといえば穏やかだが、ひとたび闘争に加わってしまうと、その後の関係修復の可能性は低い
雄と違って、雌は子どもや親友といった密接な関係の相手と対立するのを避ける
しかしライバルとの喧嘩では破壊的な攻撃性を発揮する
飼育下でグループを形成しているようなときは、雌の和解もよく見られる
だがすでにできあったグループだと、闘争と和解のサイクルを頻繁に繰り返すのはもっぱら雄
彼らは階層序列をテストするのと同時に、近隣コミュニティに対抗するのに必要な団結も保っている
チンパンジーも人間と同じように、競争、地位、社会関係維持への姿勢に性差があるようだ
だがチンパンジーでも人間でも柔軟性の幅が大きく、単純な二分法を当てまえるには慎重にならなければならない
チンパンジーの場合では、親をなくした子どもを雄が引き取って面倒を見た例が知られているし、雌が雄並みの派手な攻撃の表現を見せて他者を脅した例もあり、すべては状況次第だ
たいていの場合、性による違いは明らかにそれとわかるパターンに従っている
しかし異なる反応が要求される環境では、雄も雌もそれに適応するし、それが可能
人間でも同じことが言える
性差は文化に左右される
だからこそフェミニズムの学者や社会科学者は一つの要因が明らかな影響を及ぼせば、他の要因の影響はゼロだと言わんばかりに、生物学は的外れだと批判していた
こうして複雑な事情を考慮してか、ギリガンも著書の最後のほうで姿勢をやわらげ、成熟するにつれてどちらのせいも極端ではなくなっていると書いた
「配慮とは、他者を傷つけないこと」と最初に定義されていたが、女性はそんな配慮いっぺんとうから離れて平等や個人の権利といった原理を取り入れるようになる
また、男性も絶対的な真実など存在せず、みんなのニーズが同じとは限らないことを学び始める
その結果、より適切な判断が可能になり、寛容な倫理体系が生まれる
見返りのない仲介役
男はそんなに順位競争に生きる動物なのだろうか
狩猟採集民から小規模農耕民に至るまで、小さな社会の多くは、性別と親子の絆を除いて、富や権力や地位で区別せず、平等と共有に重きを置いていると言われる
階層序列に基づいた関係は、私達が思っているほど根源的なものではないのだろうか?
だが地位の違いを完全になくすことはできない
平等社会には階層序列がないかわり、極端な形ではあるが「支配スタイル」が存在する
ランクの高い個体が低い個体に加える何らかのコントロールであり、寛大なものから専制的なものまで幅広く存在する
平等主義的な支配スタイルは、トップの権力と特権を抑制するための、下位からの政治的テコ入れで生まれる
人間の社会秩序の感覚を正義感と呼べるとしたら、それはまぎれもなく私達が平等志向を持っているからだ
私達は人気のない権力者を追放するし、少なくとも批判したり、従順にも限度があると知らしめたりする
いわゆる平等社会が存在している事実からして、人間はある程度昔から平等を目指そうとしてきたと言えるはずだ
支配スタイルにいろんな形がある
西ヨーロッパには軍国主義的な階層序列を形成している地域もあれば、厳然とした階級制を敷いている国もあり、また誰もが自己権力の拡大に勤しむところもある
それには生態学的な説明ができるかもしれない
オランダ人が貴族政治を嫌ったのは、国土が海抜よりも低いことと関係がある
激しい洪水に見舞われていた15世紀から16世紀にかけて、オランダの人々にとっては国土を水害から守ることが国民共通の目標だった
堤防が決壊しそうになると総動員で土嚢を運んだ
この義務から逃れようとする者は恩恵も受けられなかった
「上履きやケープや毛皮の外套は堤防では何の役にも立たない」
霊長類にも様々な支配スタイルを見ることができる
だが当時の代表的な霊長類学者が意を唱えたために、彼の観察報告が公表されたのは何年もたってからだった
しかしチンパンジーとアカゲザルとでは「支配の性質」が異なるというマズローの主張は正しかった
アカゲザルの支配者はすべての面で他の者より優位に立っており、下位者が勝手なことをしたときはいささかのためらいもなく罰を与える
そのため下位者はびくびくしながら暮らしている
支配的地位にある者が下位者の友人として、また保護者として振る舞うことの多いチンパンジーとは大変な違い
チンパンジーは食べ物を分け合うし、怖い目にあった下位者は何はともあれ支配者の腕に飛び込むこともある
地位の低い個体でも、感情を表に出す余地が認められている
一番強いチンパンジーが遊び相手をほしがるあまり、子どもの雌から友達を横取りしようとした
友達をとられそうになった子どもの雌が、大きな雄にむかって拳で殴りかかる
すると雄は雌の大胆さを面白がるかのように、笑いながら(しゃがれた笑い声のような鳴き声)逃げ出した
マズローはこれがアカゲザルだったら、雌は大変な目にあっただろうと的確に指摘している
マズローの研究は若いチンパンジーしか比較の対象にしていなかったため充分とは言えなかった
しかしおとなのチンパンジーでも、順位はアカゲザルほど厳密で揺るぎないわけではない
すべての霊長類は支配-被支配の関係を知っていると一概に断言してしまうと、もっと深いところにある差異が見過ごされてしまう
そんな多様性を理解するのに、何もアカゲザルとチンパンジーといった遠い親戚同士を比べることはない
アカゲザルは同じ属のベニガオザルと比較しても、専制的な性質が際立っている ベニガオザルは優先権より調和を重んじているように思われる
同じ支配層でもアカゲザルよりベニガオザルのほうがいくらか寛大で、衝突した時に逆に下位の者に威嚇されることもあれば、下位者と肩を並べて水を飲んだり食事をしたりもする
またお互いにグルーミングする回数も多いし、喧嘩の仲直りは非常に上手な部類に入る
社会性の原因を自然環境に求めようとする社会生態学者に言わせると、平等主義の発達をうながす最適の条件は、協力関係に依存しつつも、グループを離れる選択肢もある状況だという
共通の敵に立ち向かうのは、団結と寛容を高める絶好の機会だからだ
物理的な環境、捕食者、種全体の敵など、協力しなければならない場合はいろいろある
離脱の自由はグループから離れた時に捕食される危険性がどれくらいあるか、また近隣のグループが新メンバーを受け入れる意志があるかどうかに左右される
メンバーが互酬の関係にあり、なおかつグループ離脱の機会が現実的にあるとすれば、支配者はグループの者たちに「優しく」したほうがいいだろう
さもないと、支配するべき相手が誰もいなくなってしまう
下位者がどこにも行き場がなければ、支配者は徹底的に彼らを搾取し、懲罰で威嚇するはずだ
だが、下位者でも力を合わせることができれば、話は変わってくる
霊長類の特徴の一つである同盟形成は、絶対的な権力を脅かす役割を持っている
もともとは雌が若い血族の出世を後押しするなど、支配力獲得が同盟づくりの主な目的だった
しかし下層の者たちも、同名を組むことで支配者に反旗を翻し、場合によっては打倒することができる
マカクやヒヒに比べると、支配者に対抗するために協力することが多いチンパンジーには、同盟を支配者への対抗勢力として活用する例が見られる
つまり同盟づくりは階層を構築し、強制する手段からはじまって、階層を弱める働きを持つようになった
平等な社会では、他者を支配しようとする者を阻止するシステムができあがっている
下位者と思しき者が手に取る武器は、あざけりであり、世論の操作であり、不服従
指導者の権力が行き過ぎないよう、下の者の同盟によって一定の制限が敷かれている
アメリカの文化人類学者で、のちにチンパンジーの調査も行ったクリストファー・ベームは、この平均化のメカニズムに興味を持った あまりに尊大だったり、威張り散らす指導者、食べ物や物資をうまく再分配できなかったり、よそ者と密約を結ぶような指導者は、たちまち尊敬と支持を失うことをベームは突き止めている
といには命までもが犠牲になる場合もある
ブラヤ族では、他の男の家畜を取り上げたり、その妻に性的な関係を強要した族長は殺されることがあるし、カウパク族でも自分に与えられた特権を踏み越えた族長は命が危ない このような族長処刑はごく秘密裏に行われることもあるが、ベームが調べた48の文化のうち10例で報告があった
そこでベームは、指導者は実は下位者に支配されているという意味で「逆階層」という言葉を使っている もっともこの考えに異論を唱える学者も多い
いくら階層序列が平等化されたとしても、やはりリーダーはリーダーだという
「それでも指導者が尊敬を受けるような状況は確実にある。したがって初期の階層序列が逆転するわけではなく、リーダーシップが必要となる状況を越えてまで発達することが阻止されると言ったほうがいい」
平等社会といえども、誰かがリーダー的な役割を果たすことを許している
リーダーシップが皆無な社会よりは、限定的ながらも不平等の存在する社会のほうが生き残りは容易い
リーダーシップの必要性を痛感する状況として、グループ間に紛争が発生したときがある
コミュニティの全員が二手に分かれたのでは、事態は悪化するだけ
特定の個人に権限をもたせ、公正な解決策を見つけることでコミュニティ全体の利益を図る以上に、最善の方法があるだろうか
紛争を上位者が仲介するというのは、私達人間に限った話ではない
第一位雄は、捕食者は他グループの襲来といった外からの侵害に積極的に対応するだけでなく、グループ内の衝突など内側の侵害にも対処する
後者の場合は攻撃を仕掛けた者を追いかけるなど、直接的な介入で抑えつけることが多い
もっとも、そのやり方と効果のほどは様々
私自身も、第一位雄が片方の眉をぴくりと上げた、あるいは前に一歩踏み出しただけで喧嘩をやめさせたところを見たことがある
自分も喧嘩に巻き込まれて騒ぎが一層激しくなったこともあった
紛争を上手く抑制するには、特殊な技能が要求される
介入の効果については個体差が非常に大きいし、よく知られている種でも監督しての役回りが発達していないものがあったりして、全体を語るには問題がある
なかでも具体的な証拠があるのが、チンパンジーで、ゴンベ国立公園ではベームが、また飼育チンパンジーについては私がそれぞれ記録している
支配的地位にあるチンパンジーは、喧嘩が起こると不利な方を応援したり、公平に仲裁したりして喧嘩をやめさせる
大声をあげて争っている二頭のあいだに、全身の毛を逆立てて割って入って黙らせたり、攻撃のしぐさで追い払ったり、4つに組んでいる二頭を両手で引き離したりする
その行動はどちらかに加勢するというよりも、敵対行為をやめさせることに主眼を置いている用に見える
『政治をするサル』で、第一位雄の地位についたラウトが、数週間もしないうちに監督者としての役割を身に着けた様子 二頭の雌の乱闘に他のチンパンジーも加わって、みんな鳴き声をあげながら砂の上を転げ回り、大騒ぎになった
そこへラウトが飛んできて、文字通りみんなを叩いて引き離し始めた
敵味方関係なく、争いをいつまでもやめない者はラウトの一撃を受けた
彼がこんな派手な行動に出たのを、今まで見たことがなかった
監督者としての役割で注目すべきなのは、立場が不偏なこと
私と学生はアーネム動物園で何千例にも及ぶ仲介を記録して、それをグルーミングや普段の付き合いから推測される個体間の親しさと比較してみた
紛争を仲介する時、ほとんどのチンパンジーは自分の親族や友人、仲間を応援する
だが支配層の雄だけは、喧嘩の当事者よりも一段高いところに自らを位置づけていた
最大の狙いは、グループ内のごたごたを終結させることだと思えた
野生チンパンジーを観察したベームも、同様の態度を報告している
監督役を務めた個体は争いを上手く収拾したあと、その場を引き上げておとなしく座るか、食事などそれまでやっていたことに戻るが、もし衝突が再燃しようものならただちに仲裁に入ろうとする姿勢がうかがえる
もっともこうした仲裁が効果を発揮するようになると、喧嘩は普通未然に回避されたり、途中で止まったり、仲直りにいたる
監督役のもう一つの特徴は、見返りが目的ではないということ
利益に結びつくような同盟を結ぼうと思えば、グループ内で一番力のある者につくのが手っ取り早い
だが監督役の雄は、子ども同士の取るに足らないいさかいにも割って入り、両方の子どもを守ってやることも多い
おとなどうしの喧嘩では、たとえば雌が雄の攻撃を受けているようなとき、監督役は雌の方を助ける
見返り目的で争いを仲裁するような雄は激しい抵抗にあい、役目をきちんと果たすことができない
まだ若く経験の浅いニッキーは、仲裁する時イエルーンと一部の高順位の雌ばかりに加勢していた
雌はニッキーの介入を快く思わず、喧嘩のときに彼を遠ざけるべく同盟を組んだりした
その点イエルーンの仲裁は公平で、抑制が聞いていたので、みんなすぐに受け入れた
数ヶ月もたたないうちに、ニッキーは監督役としての仕事をすべて年長のイエルーンに明け渡した
この出来事から学んだことは2つ
まずひとつは、監督役はナンバー2の地位にあるものが果たす場合もあるということ
もう一つは、監督役を誰が、どんなふうに務めるかについて、グループに発言権があるということ
こういう社会的なやりとりでは、個体の振舞いは他者の期待によって制限を受けている
監督者は弱者を強者から守ってやる傘という見方もできるが、それを支えているのはコミュニティ全体
グループは平和と秩序を確保するために有能な仲裁者を必要としており、効果的な仲裁ができるよう、その役目を引き受ける個体に大きな権限を与えて支えてやっているようだ
そういう意味では監督役には見返りがある
有力な友人からではなく、一見すると無力なメンバーからの見返り
実際に仲裁する雄は、「怒れる若者たち」の攻撃を受け手地位が脅かされたとき、ばかにならない草の根支援を受けられる
監督役を務める利点としては、対立する当事者のうち弱い方の味方をすることで、自分より下位者たちの格差を埋め、結果として自分と潜在的ライバルとの差を開くことも挙げられる
高順位の者が地位を濫用しようとしても、監督役の仲裁によって阻止されることもある
もちろんすべての行動にこんな戦略的な理由があるわけではない
子ども同士の喧嘩など、自分の地位が脅かされる危険がなくてもちゃんと仲裁している
監督役の雄は、自分の付き合いとは切り離して紛争の仲裁にあたる
それは平等と公平の最初の兆候
公正な指導者はなかなか現れるものではなく、そのためいざ出てきたら、なるべく長くその地位にいてもらうことがグループの利益となる
たとえば、最初は仲良くじゃれあっていた子どもたちが、毛を引っ張ったり、蹴ったり、大声をあげるようになると、母親の間にたちまち緊張が高まる
ある母親が自分の子を守ろうとして現場に近づこうとすると、別の母親も知らん顔ではいられない
そんなとき地位の高い権威ある者が、公平かつ最小限の力で問題に対処してくれれば、誰もが安心できるだろう
だからといってチンパンジーを平等主義者とまでは呼べないが、彼らが専制政治を脱して、分配と寛容、下位からの同盟が可能な社会体制を作っていることは確か
高順位の個体は絶大な特権と影響力を持っているが、支配が続くかどうかは、ある程度まで下層の受け入れにかかっている
先代の第一位雄がいなくなったあと、私達は二頭の雄を新たに群れに入れた
だが二頭とも、古株の雌達から猛攻撃を受け、重症を負って治療を受けるほどだった
数ヶ月して、また新たな二頭の雄を入れた
そのうち1頭は前例者と同じ扱いを受けたが、もう1頭のジモーはとどまることが許された
ジモーがやってきてすぐ、年長の雌二頭がやってきて彼にちょっとのあいだグルーミングをした
それからはジモーが第一位雌の攻撃を受けるたびに、この雌たちのどちらかが彼を守ってやるようになった
それから何年かして、研究対象のチンパンジーの過去を調べていた時、私は一つの発見をした
ジモーと二頭の雌は、14年前に別の施設で一緒に暮らしていた
ジモーは30歳近い年齢だが、雄にしてはとても小柄でおとなの雌でも字もーより大きな者がいた
そのため彼は並々ならぬ努力と忍耐で彼女たちを支配しなくてはならなかった
毎日ジモーは攻撃的なしぐさをして、ときには親しい雌たちの支援設けて自分の存在を誇示していたが、だんだん独り立ちするようになった
次第に雌たちは彼におじぎやパントグラントをするようになり、最後には第一位雌も他の雌に従った ジモーはまた監督役も引き受けた
雌の同盟がジモーに対抗したのは前述のソッコを攻撃したときなどごく限られた場合だけ
そんなときもジモーは、雌に認められてこそ自分は支配者になれることをはっきり示した
それは人間の平等社会に見られるような、立場は等しいが特別だという力関係に似ている
ジモーと雌の関係は確かに特別ではあるが、支配というのは必ずしも一方的な条件の押しつけでないことがわかる
序列間の関係は、相互契約に似ている
野生のチンパンジーでも、その地位の安定は、雄のリーダーシップが受け入れられるかどうかにかかっている
類人猿は進化する過程で専制的な階層が解体され、支配よりもリーダーシップが重んじられるようになった そして高い地位に付随する特権と引き換えに、コミュニティへのサービスが求められるようになった
ここではコミュニティ全体の利害が大きな位置を占めている
紛争を調停して分裂の危機を回避すれば、コミュニティは構成員の数のうえで有利になり、近隣のコミュニティと対抗できるというのがベームの考え
人間が進化を遂げる間に、この特質は非常な位置を占めるようになった
そのため人間は紛争に対処するのに、もっと予防的なアプローチを取っている
チンパンジーがやるように、いま起こっている紛争をやめさせたり、あとで和解させるのではなく、コミュニティの価値を構成員一人一人にしっかり植え付け、衝突回避のための一般原則を浸透させることに努力を払うようになった
そうなるためには、社会の上層から下層にいたるすべての層が、コミュニティの問題について何らかの発言権を持っていなければならない
平等主義の気風は、進化の道筋における筋違いの特徴ではなく、道徳性が誕生する上で必要条件だったのかもしれない